モモの読書感想文034~『ねじまき鳥と火曜日の女たち』村上春樹
モモです。
私が初めて読んだ村上春樹作品は『ねじまき鳥クロニクル』でした。14歳のときです。
あのときの衝撃たるや、忘れることができません。
なんだかよくわからないけれどものすごいものに出会ってしまった、と思いました。今でもなんだかよくわかっていませんが、何度も読んでしまうことは間違いない。
3部作の長編です。
今回取り上げる作品は、この『ねじまき鳥クロニクル』のもとになった短編作品です。
前回の感想文はこちら。
今回の読書感想文は・・・
『ねじまき鳥と火曜日の女たち』著:村上春樹
短編集『象の消滅』に所収されています。
初期の短編作品が17編収められています。定価は1,300円と文庫本に比べるとちょっとお高めですが、なにせ傑作揃いの17編! 買って損なしです。
クリアカバーに覆われたおしゃれな表紙。日本語はそのカバーに印字されたもので、はがすと外国のペーパーバックのような装丁になっています。
『めくらやなぎと眠る女』こちらも必携。同じデザインの装丁なので並べておくとおしゃれなのでね。おすすめです。おしゃれなんで。
あらすじ
あの『ねじまき鳥クロニクル』のもとになった短編
スパゲッティをゆでていたところにかかってきた、知らない女からの奇妙な電話。セクシャルな内容だったので無理やり切り上げて、いなくなった猫を探しに行くと、路地でサングラスをかけた少女に出会う。
猫の通りみちで少女と待ち伏せをしているうちに眠り込んでしまい、目が覚めるといつのまにか少女は姿を消している。
結局見つからなかった猫の死を予感し、泣く妻。電話のベルは鳴りやまない。
・・・と言われても、意味が分からないですよね。私もわかりません。(笑)
でもほら、そういうものでしょう村上春樹って・・・
なので、私が出した結論を先に。
モモの解釈
これは、「僕」が妻を失う物語であると思います。
猫は、妻の心のメタファー(暗喩)ではないかと。
妻は「僕」に、猫を探してと頼みますが、「僕」はあまり熱心には探さず結局見つけることができなかった。
妻は泣き、「猫は死んだ」「あなたが見殺しにしたのよ」と言います。
自分から去っておきながら、探してほしい、追いかけてほしいと思う女心。女の子なら思い当たる節があるのでは…
この短編をもとに書かれた長編『ねじまき鳥クロニクル』に、こんな一節があります。
僕は猫が昔から好きだった。そしてその猫のことだって好きだった。
猫には猫の生き方というものがある。
猫がいなくなったら、それは猫がどこかに行きたくなったということだ。
この「猫」を「妻」に置き変えて読んでみるとどうでしょうか?
妻は「僕」のそういう執着の無さや、ある種の冷たさをいつも感じていたのかもしれません。
電話をかけてきた女
とにかく十分だけ時間を欲しいの。そうすればお互いもっとよく分かり合えると思うわ。
でも私、あなたのこと好きだったのよ。昔の話だけど。
女は「僕」のことをよく知っていて、過去に知り合いだったと言う。でも「僕」にはまったく思い当たる節がない。
女はセクシャルな話題で「僕」の気をひこうとするが、「僕」は結局5分ちょっとで無理やり電話を切り上げ、猫を探しに家を出ます。
村上作品に出てくる男性って、だいたいいつも受け身ですね。
女性にちょっとエッチなことを囁かれても、全っ然うれしそうじゃない。(笑)
いつも相手の方から近づいてきて、頼みもしないのに好意を寄せてくれる。そしてそれをちょっとめんどうくさがったりする。「やれやれ」とか言って。
2回目の電話を、「僕」は無視します。
十五回の電話のベルが僕のまわりの空気の質をすっかり変えてしまった
この一文は読者に、「僕」の置かれた世界が変わりつつあることを予感させます。
そこで登場するのが「路地」です。ここでは、別世界への入口の役目を持っていると考えます。
路地で出会った少女
路地は、かつては通りと通りをつなぐ近道の役割があったが、今はどこにもつながっていない。その路地の中で、「僕」は少女と出会う。
『ねじまき鳥クロニクル』では「笠原メイ」という名で登場するこの少女、この短編では名前が出てきません。
この少女は、電話の女と同一人物かなと思います。といっても過去の姿です。
丁寧に言葉を切ってしゃべるところ、” 唇 ”というキーワード。
子どもの頃の生活環境は中の上だと言っていたし、いくつも共通点があります。
” クロニクル ”という言葉には年代記や編年史という意味がありますし、路地を通ったからには時空が少しばかりさかのぼったとしても不思議ではありません。
意味のない描写は省かれるはずだからです。この路地には必ず意味がある。
妻を失う物語
もっと深読みすると、電話の女も路地の少女も、妻の一部なんじゃないかとも思えます。
電話の女は大人、路地の少女は子供。どちらも同じ一人の女性の一部。
「僕」は電話の女を無視してしまうし、路地の少女は居眠りしているあいだに見失ってしまう。ずっとずっと、妻を失い続けている。
物語の最後は、鳴りやまない電話の音で締めくくられます。
まるで妻が「僕」に向けて発する警告音のよう。
読み終えても耳に残る後味の悪さが、なんとも言えない。
ねじまき鳥とは何ぞや?
ここまでいろいろと感想・解釈を書いてきましたが…
そもそも「ねじまき鳥」っていったい何でしょうか?
実はこれがまだ私のなかで謎のままで、結論が出ていないんです。
この観点で『ねじまき鳥クロニクル』のほうを読んだら、何かひらめくでしょうか。でも長いんだよなぁ…(笑)
自分なりの答えを持っているという方がいたら、コメントしてください!
それでは、また。
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(また村上春樹になっちゃった)