モモの読書感想文038~『蜜柑』芥川龍之介
モモです。
今回の読書感想文は・・・
『蜜柑』 著:芥川龍之介
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明治・大正期の文豪、芥川龍之介。
人間味があってシニカルな作風、大好き。
すでに没後90年以上が経っているので、青空文庫でも読めますよ。
前回の感想文はこちら。
『蜜柑』あらすじ
ある曇った冬の夕暮れ。汽車に乗っている私の向かい側に乗ってきたのは貧しそうな薄汚い少女。
その汚らしい風貌にも、三等の切符を持ちながら二等の車両に乗り込んでくる無知さにも、すべてに嫌気がさした私は、憂鬱な気分に拍車がかかる。
トンネルに入ると、少女はおもむろに窓を開ける。煤が車内に充満する。
トンネルを抜けると踏切に三人の男の子が立っていて、少女は弟たちに向けて5,6個の蜜柑を投げる。
曇り空に映る蜜柑に目を奪われた私は、憂鬱な気分が晴れていることに気づく。
文庫本6ページほどの超短編です。
「私」の気分が晴れたのはなぜか?
この主人公、とにかくめっちゃくちゃ病んでいるんですよ。
私の頭の中には云いようのない疲労と倦怠とが、まるで雪曇りの空のようなどんよりした影を落としていた。私は外套のポケットへじっと両手をつっこんだまま、そこにはいっている夕刊を出して見ようと云う元気さえ起らなかつた。
新聞を開く元気すらないって、いったい何があったのでしょうね?
そんな最悪の気分のときに相席になったのが、みすぼらしい少女。
三等の一番安い車両の切符を握りしめながら、ひとつランクの高い二等の車両に乗り込んでくる。現代で言うと、うっかり目の前に停まったグリーン車に乗っちゃった、ってかんじでしょうか。少女が汽車に乗り慣れていないことがわかります。
そんな少女を見て、腹立たしく思いさらに憂鬱な気分になる「私」。なんでそんなことに腹を立てるのかよくわかりませんが…とにかく虫の居所が悪い様子。
その後、少女はおもむろに窓を開けます。
すると外の踏切には、おそらく少女の弟である3人の男の子たちが見送りに来ています。
するとその瞬間である。窓から半身を乗り出していた例の娘が、あの霜焼けの手をつとのばして、勢よく左右に振ったと思うと、忽ち心を躍らすばかり暖な日の色に染まっている蜜柑が凡そ五つ六つ、汽車を見送った子供たちの上へばらばらと空から降って来た。
少女は、弟たちに向かって大事に持っていたみかんを投げる。
その姿を見た「私」は、憂鬱な気分が晴れ、さわやかな心持ちになっていることに気づくのです。
物語の始めと終わりとで感情が逆転しているんですね。
そのポイントになったのが、少女の手から投げられた蜜柑だった。
残された弟を気遣う少女のやさしさに胸をうたれた
おそらくこの少女は、奉公(出稼ぎ)に出るために家を出ています。
そして弟たちは寒い冬の日に、姉を見送りに踏切りへ来ていた。そんな弟たちへのねぎらいと、別れの気持ちをこめて投げられた蜜柑。
行ったこともない街へ一人きりで向かう少女。きっと不安でいっぱいだろうに、それでも最後まで弟たちを気遣う姿に「私」の心は洗われたのだと思います。
鮮やかな色彩
この作品の素晴らしいところは、色彩の使い方です。
冬の日、曇り空、汚れた浅黄色の服、煤だらけの車内。イメージされるのは暗くよどんだ色ばかり。
そこへ、真っ暗のトンネルを抜けたときに少女の手から放たれる、鮮やかな橙色の蜜柑。
短い文章でありながら目の前に映像が広がるような筆致が、もう見事としか言いようがない。
女から男への餞別
蜜柑は希望の象徴のようにも思えます。
少女は口減らしのために奉公へ出され、家に残ったのは3人とも男なんだよね。
奉公先では重労働が待ち受けていて、その先に何か希望があるともわからない。死ぬまでこき使われるだけの人生かもしれない。
それでも少女はわずかに残った希望を、蜜柑に託して弟たちに渡してしまうの。なんて哀しいシーンだろうと思います。
最後に
このお話は、芥川が実際に体験した実話だったのだそうです。
少女の行動を目にして、
不可解な、下等な、退屈な人生を僅に忘れる事が出来た
とだけ書き残した芥川。
あえて多くは語らなかった芥川の言外の気持ちを、あなたはどのようにくみ取りますか?
芥川龍之介の名作『蜘蛛の糸』の感想文はこちら。
それでは、また。
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