「死ね」って言われるメリット
モモです。
この前、友だち数人で食事していた時のこと。
私がユウキ君と来月結婚すると事前に報告していたので、「どんなところが好きなの?」と聞かれて答えたら、
友だちの一人が私に「死ね!」と言ったんです。
ギャグでもなく、お酒に酔っているわけでもなく、真顔で目を細めて。
一瞬声も出ないくらい驚いて。
普段生活していて、死ねって言われることなんてそうそうないので。
ほかの子も驚いていましたが、とりあえずその場は流して、何事もなかったかのように食事を続けました。
ついさっきまで忘れていたんだけど、今ブログに何を書こうかな~って考えていたら、ふとこのことを思い出した。もしかしたらずっと心の奥でモヤモヤしていたのかも。
言われなくてもそのうち死ぬ
もちろん、言われたら傷つくけど。最大の悪口のように思えるけど。
でもさ、言われなくても絶対死ぬんだよね。遅かれ早かれ5~60年経てば死にます。
「殺すぞ」だったら話はちょっと違ってくるかもしれません。相手の覚悟も伺える。
それに比べて、「死ね」。
「死ね(今ってわけじゃないけど5~60年後くらいに)」
うん、そう傷つくほどでもない言葉のように思えてくる。
結局悪いのは自分
要するに、「今の発言、イラっとしたよ」「これ以上聞きたくありませんよ」っていう意思表示なんですよね。
会う時はいつも、怒りそうだから惚気ととられそうな話はしないようにしていたんだけど。
結婚が決まって、質問に一度答えただけで「死ね」とは…
彼女に対しての失望はあまりなかったものの、自分に対する失望は感じました。
こんなことを言う人を身近に置いているなんて、私ってなんてレベルが低いんだと。
会社の同僚ならまだしも、友人関係なんて今では自由に選べるはずなのに。
彼女は私の代弁者だった
「死ね」「うざい」「消えろ」「お前」「ぶっ殺す」
そういえば彼女は普段から、そういう言葉をよく使います。付き合いが長くて慣れていたのであまり意識していなかったけど。
会社でむかつくことがあった。
男の子にこんな扱いをされた。
そんなエピソードの中にたくさん出てくる言葉たち。
それに比べて私は、人に対して暴言を吐くことがありません。
グチですら、言葉を選んで話していると思う。(たぶん(笑))
でも、口に出さないまでも、思ってしまうことはある。
思うけど、言葉にしないで飲みこんでいるから、知らない間に体の中に溜まっていて。
もしかしたら、それを彼女の暴言いっぱいのグチを聞くことで発散していたのかもなと思いました。だとしたら私だって結構イヤな奴だ。
言いたいけど言えないことを、代弁してくれていることにメリットを感じていたのかもしれない。
問題を人のせいにしないように
そもそも人は、何かしらのメリットがあるから付き合いをする。
私にとっても、彼女と付き合うことに何かしら良い面があったはずなんです。
だから今回、その言葉の刃が自分に向けられたからといって彼女を批判するのはお門違いだなと思いました。というか、今ブログを書いていてそう気づいた。
そして、私が人に対してイライラしたりむかついたりする気持ちを持たなくなった時には、もしかしたら自然と彼女との付き合いは終わってしまうのかもしれません。
さすがにお祝いのタイミングでそんなことを言われるなんてショックだったのでしばらく会わないでおこうとは思うけど(笑)、問題は彼女ではなく自分にあるっていうことを忘れずにいたいなと思いました。
うん! モヤモヤがすっきりしたぞ。
それでは、また。