モモの読書感想文003後編~『棒』安部公房

 

こんばんは。モモです。

 

引き続き、『棒』についての感想文を書いていきます。

『棒』 著:安部公房
前編はこちらです。

 

 

ちなみに、安部公房(あべこうぼう)の本名は「きみふさ」なんですよ~

漢字はそのままなんですね。

 

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つけひげの先生と、そっくりな二人の学生

そもそもこの3人、いったい何者なんでしょうか。

 

一般的に、人を裁く立場の存在としてイメージするのは、天上に住む完全無欠な神仏だと思いますが、彼らはどうもそのイメージとは少しずれています。

 

二人の学生が瓜二つなのも、先生がつけひげなのも、異世界の存在が地上の人間に変装しているからだと考えられますが…

 

そうそう、高校生の時に教科書でこの作品を読んで、現代文の先生に

「この3人は地上の人間に変装しているんでしょうか?!」と聞いたら

ものすごく困った顔で「さあ…」と言われたことを憶えています(゜o゜)

 

そりゃ先生にもわからないよね(笑)

 

この作品のテーマ① 「人間性の具現化」

「人間性の具現化」とは、その人間の内面を身体化して物質に転換するという意味で用いています。

 

つまり、人間の性質が目に見える形で現れるということ。

 

この作品では男は平凡であったために「棒」になったわけですが、もし彼が非凡で独創性に富んだ人間であれば、あるいはしゃちほこに変身していたかもしれないですよね。

複雑な形をしていて、確固たる存在意義があり、何を持ってしても代わりにはならない、唯一無二の存在のしゃちほこ。

 

裏を返せば、人間の持っている物質としての身体は、単なる入れ物に過ぎないというような意味にもとることができる。人間はみな、その身体の内側に棒やらしゃちほこやらを潜ませて暮らしているということですね。

 

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デパートの屋上から降ってくるしゃちほこ…

しゃちほこ、ゲシュタルト崩壊しそう。

 

(本文にしゃちほこは出てきません。(笑))

 

この作品のテーマ② 「不条理」

何度も書いているように、男は考え方も生き方も単純で平凡だったために何の特徴も無い棒に変身したのだと考えています。

そんな人間性を持った男は、右側の学生が「この棒が、ただ路端にすてられていたものではなく、なにか一定の目的のために、人に使われていたということを意味する」と言っているように、人に使われ続けていた人生を送ったということが考えられます。

 

男は平凡であったがゆえに棒に変身し、裁かれることになったわけですが…

 

そもそも、平凡ってそんなに悪いことなのかなぁ?

 

「一面に傷だらけです。しかも捨てられずに使いつづけられたというのは、おそらくこの棒が、生前、誠実で単純な心をもっていたためではないでしょうか」

と言われているように、平凡というのは美点であるとも考えられますよね。

 

例えば私が上司の立場であったなら、単純作業を淡々と誠実にこなしてくれる部下の存在には、意欲的で次々と新しい企画を考え付くような部下と同じくらい有用性を感じると思うのです。

単純作業を淡々と誠実にこなすというのは、ある種の才能だと思うからです。

 

けれども学生たちは男をそのように評価することなく、立ち去ってしまう。

う~ん、それでいいの?

 

で、気付いたのですが男を裁いているのは研究生なのでした

まだまだ見習いなのです。

一応「先生」も傍にいますが、この人物も少し胡散臭いところがありますね。

なにしろ、大事な議論の最中にいたずら書きをしてしまうような人です。

 

とにかく、未熟な者がこの男を裁いている可能性があるのです。

正確に言えば、この男は最終的に「裁かぬことによって裁いた」ことにされています。

 

しかし、裁かれる者はすでに死んでいるのだから文句のつけようがない。

これは、不条理以外の何物でもないでしょう。

 

 

結末

だれかが私を踏んづけた。雨にぬれて、やわらかくなった地面の中に、私は半分ほどめり込んだ。「父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん……」という叫び声が聞こえた。私の子供たちのようでもあったし、違うようでもあった。この雑踏の中の、何千という子供たちの中には、父親の名を叫んで呼ばなければならない子供がほかに何人いたって不思議ではない。

 

男が棒に変身してしまったことを知っているのは、二人の学生とその先生、それから子供たちだけ。

学生と先生が処罰を下して去ってしまった今、その棒がかつて人間であったことを知っているのは子供たちしかいません。

人間世界との唯一のかけ橋である子供たちの声。

 

しかし、「叫び声が聞えた。私の子供たちのようでもあったし、ちがうようでもあった」とあるように、肝心のその声も男にとってもはや確実なものではなくなってきています。

棒という存在になってしまったことで、人間を個々で判別することが難しくなってきているのです。

今はまだ父親の名を呼ぶ子供の声だということはわかっているが、やがては「人間」という一つの生物の鳴き声としてしか認識できなくなっていくんだろうな…

 

なんだか救いの無いお話でした。

本当、なんでこれ教科書に載っているんだろう。(笑)

 

それでは、また。

 

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Next book report is…

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