定時退社を目指す!僕の挑戦
最近、余裕がでてきた僕です。
モモとブログを取り合えず3か月間続けて投稿し続けている最中ではありますが、もう一つチャレンジしたいと思います。
というのも、毎日ブログを投稿するためには時間が必要でした。健全な日常が必要になってきたからです。
今まで通り日付をまたぐか跨がないか、
「今日中(24時までに家)に帰れるか」
を口癖にしているようでは、遠い夢のまた夢となってしまいます。
仕事が落ち着いてきて、そろそろ自分の活動に力を入れていこうと思ったところであります。
はじまり
「この会社におさまる人材じゃないんすよ」
転職を決意したとき同僚に僕が言った一言。ボーナスの7月を待たずに6月に退職した。
「どうせならボーナスもらってやめればいいのに。」
と言われ、
「お金じゃないんすよ。もっとレベルの高い仕事がしたいんすよ。」
自信たっぷりに、そう言い放った。
その時の僕は、自信に満ち溢れていた。(転職先の会社で入って2週間でボーナスをもらえたわけだが笑)
エンジニアとして4年働いた僕はなんでもできる気がしていた。お客様先でも自分の意見をしっかり話し、上司が出来ないと言っている仕事をこうすれば出来ると覆していた。
転職
客先常駐から社内SE(情シス)への転職、今ままでお客様の立場になるわけだ。
これまでも色々なアイデアを持っていた。色々な問題を解決してきた自信があった。
そんな僕が最初にぶち当たった壁は、何をしていいか分からない。だ。
とくに引き継ぎもなく、手順もない。パソコンを渡されて、この受入テストをやっといて。と。
資料もどこに何があるか分からない。整理されていないファイルサーバーの何が書いてあるかわからないファイルを片っ端から読み漁り、この変更仕様書に書いてあるシステムの操作方法を見つける作業だ。
もちろん見つけられないし、そもそもこの社内システムは何をするためなのかもわからない。データ構成もわからない。ここがこうなりました。と書いてある変更仕様書をもとに受け入れテストをしてくれと。
レベルが高すぎる。それは、動作しているこのシステムを使う業務までを理解し、全然直感的じゃないUIの操作方法を分かったうえでしか、受け入れテストなんてできようはずがない。
僕は、スキル不足を疑った。システムの操作手順を教えてもらわなければならない現状。何日かは資料を読み漁ったが全然最新じゃない資料しか見つけられなかった。もちろん、メンテなんてされてなく、そもそも最新版の資料なんてなかったのだが。
数日後、
できません。
それしか僕には言えなかった。
上司にそう告げた後はひどかった。
マンツーマンでテストを横でここのボタン押して、ここにこれ入れてって。分からないなんて意味が分からない感じで。
僕には分かるはずもない。
そもそもこのシステムが何なのかもしらないし、業務もしらないのだから。でも、これが中途採用なのかって絶望した。
会社活動が分かっていないと話にならないと思った。会社でも通勤中も会社の活動について調べた。僕はSIerとして仕事をしていたから、管理部門の仕事なんて見てこなかったし、各種申請や勤怠なんかもマニュアル通りに入れて事務に渡していただけだった。
そこからは、上司の何が分からないか分からないというしごきにずっと耐えた。
転機
今までの社会人生活で経験していないエンジニア以外の仕事に対するレベルが低すぎて、会社で備品を買うときの申請や、発注や稟議など一般企業の会社内での活動そのほとんどが僕には初めての作業だった。
もちろん、内製エンジニアの一人目として転職してきたのでエンジニアとしての仕事も回ってきたが、資料が少なすぎてわからない上にUIが直感的じゃなく、システムの外の独自ルールなども多く、時間もまとまって取れない状況でミスが増えてきて、とても苦しかった。ソースもスパゲティどころの話ではなく。開発ルールもなければ、ソース管理なんてなかったので、もうそれはそれはひどい有様だった。
ソース上には古いコメントが沢山書いてあり、修正箇所には修正した人の名前がここからここまで何日に変更したとか、くだらないコメントが大半をしめ、オブジェクト指向なんてなく。ソースはつぎはぎだらけで一貫性がまったくない。
そんな僕にも転機が訪れた。
会社の業務見直しを行い、システムを新しく入れることになったのだ。そのプロジェクトが壮大に失敗した。これは、部内での信用がほぼゼロな状況の僕にはある意味好機だと思った。
もちろん炎上に炎上し、内線も鳴りやまず、その対応のみに追われることになる。
発言権も、信用もまるでなかった僕は打ち合わせには議事録を書かせてください!と参加させてもらえていたため今までの経緯や業務側の思いもわからないなりに一生懸命理解していた。
全ての電話を僕がとろう
そう決めたのだ。社内のユーザーの生の声をずっと謝りながら聞いた。
「わかりづらく申し訳ございません。何をされたいのでしょうか。」
口癖が「申し訳ございません。」になるくらい謝りながら何処に不満があるのかを、毎日何回も何人ものユーザーから聞き続けた。
僕が設計したわけでも、開発したわけでもないシステムを嫌味を言われながら、毎日毎日何回も聞いた。そして謝った。
部に届く問い合わせメールも僕がすべて処理した。謝って、操作方法を提示して、データパッチ作って、なんとか動かし続けた。そして、毎週のようにリリースした、こうしないといけない。ここの業務プロセスが分かりづらい。1年間サポート業務に徹した結果。僕は、たぶん情報システム部内の誰よりも業務を理解したと思う。
上司からの評価も手のひら返しが起きた。
とても長かった。
ようやく僕の言っていることが理解してもらえるようになった。ソースが汚いとか、標準化がされてないとか、ソース管理がされてないとか、そのすべての担当になって、さらにこれもあれもって僕は仕事があまりにも多い状況になった。
保守開発や、サポートであれば今まで迷惑をかけたぶん何も思わなかったが、その上に新しいシステムの開発にも外注さんと一緒に開発してほしいと言われ、開発のメンバーにも入った。そこで僕はキャパオーバーを体験した。
無理だった。サポートもしながらがっつり設計と開発もしないといけない。毎日定時内はサポートや保守対応、定時後に開発作業をやる。
もちろん、1個のシステムじゃないので、沢山のシステムを頭を切り替えながらこなすしかない。危ないと思った。絶対ミスする。ちゃんと確認できないし、電話や問い合わせ質問、集中なんてできない。
僕は上司に、今回の新しいシステムの開発はできません。
そう伝えた。
ちゃんとやりたいけど、この1年間エンジニアらしい仕事ができず、ずっと我慢してたし、できれば開発がやりたい。
でも、この状況では無理ですと。1年間サポートをし続けてやっと、失敗した開発が落ち着いてきて、なんとか手がかからなくなってきた状況ではあるが、まだまだ急いで修正したからぐちゃぐちゃのままだ。ユーザーも問い合わせこそ減ったものの、使いづらいシステムのままだが、やり方が分かってきただけなのだと。
保守開発に専念したいと。
情報システム部のお仕事
情シスの会社での立ち位置は、とても多岐にわたる。
転職するまで、1日8時間完全に作業に集中できた。コミュニケーションをとることもあるが、大体週に2回ほどあるミーティングのみで、後は作業の時間にある意味自由に作業ができた。
情シスはそんなことはない。作業ができる時間は2,3時間だ。しかもそれがまとまってとれない。
電話でのサポート対応や、問い合わせ、新しく入れるシステムの打ち合わせ。等々
それに加え今では、上司や後輩から色々質問を受けてさばかなければならない。
定時に帰りたい
仕事がつまんないから定時に帰りたいわけじゃない。今まで色々犠牲にしてきた。エンジニアとしてスキルアップを2年以上我慢した。保守開発を少しだけしていたが、サポートがメインだった。そのすべてが無駄だとは到底思わないし、むしろ僕には新しいことを学ぶとても有意義な機会だった。
前職は、ワークライフバランスではとってもホワイトだった。定時に帰れたし。リリース時期が迫ったら遅くなることもあったが、大体早く帰れてた。家で勉強もできたし、ルームシェアしている友人たちと遊びまわれた。
今は、自分のエンジニアとしてのスキルに不安を感じるようになってしまった。
勉強をしたい。活動をしたい。
そのうえで、
定時にかえりたい
このわがままがどうなるか。ちょっと長くなったけど。
最初は難しいかもしれないけど。出来る限り定時退社を目指して。
Twitterで状況を報告していくこととする。
この続きのストーリーがどうなるか。定時退社チャレンジはハッピーエンドなのかバットエンドなのかは、僕にかかっている。