自分の言ったことに責任を持ちなさい

僕は大勢の前で話をすることが苦手だ。

自分を変えたいと思う。

自分について認識することを始めてみる。

自己分析をして自分の考えを文章化して、認識したうえでバージョンアップしようと思う。

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「自分の言ったことに責任を持ちなさい」

説教されるたびに母に言われた言葉だ。

母は、僕にうそをつかない人になって欲しかったのだろう。

その教育は今の僕を苦しめてるのではないだろうか。

 

さて、僕は大勢の前で話をすることが苦手なのである。

最近まで僕はあがり症なだけだと思っていた。


あがり症だと結論づけるべきではない

じっくりと考えてみた

 

今までの僕を思い出した時に、すらすらと自分語りが出来るときも確かに存在する。

たしかに存在している。

自分の発言に責任を持てるとき、僕はうるさいくらい何かを熱弁している。

権威のある人や、目上の人、大勢人がいるとき、僕は自分の発言に責任を持てなくなっていたのだ。

 

本当のことを話しているが、間違ったら責任がとれないから、ひとつひとつの言葉に慎重になる。

慎重になるから、言葉がでなくなる。

ただのあがり症だと結論付けるべきではなかったことに気づかされる。


0か100か

ポイントは母の言葉の中にある。

責任だ。責任という言葉に焦点をあてて考えてみる

  • 責任

 立場上当然負わなければならない任務や義務。「引率者としての責任がある」「責任を果たす」
 自分のした事の結果について責めを負うこと。特に、失敗や損失による責めを負うこと。「事故の責任をとる」「責任転嫁」
 法律上の不利益または制裁を負わされること。特に、違法な行為をした者が法律上の制裁を受ける負担。主要なものに民事責任と刑事責任とがある。

 

言葉の意味を読んでみて責任をとらなければならない場面もあるっちゃあるかと思う。

でも全てではないとも思う。0か100かで考える考え方を変える必要があるのかもしれない。


今回の僕のバージョンアップ

母の言葉をリスペクトした上でバージョンアップすることにする。

「自分の言ったことに責任を持たなければならないときもある。

 そのうえで自分の信じていることに誇りをもて」

もちろん自分の言ったことに責任を持たなくてはならないときはあるかもしれない、

でも僕は全てに対し責任を持たなければならないことに対し臆病になっていた。

うそをつかないのであれば、間違っていてもいいと思うようにする。失敗してもいいんだ。

 

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