結局、誰と付き合っても同じ説。

 

モモです。

 

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ユウキ君と付き合い始めて、もうすぐ6年になります。一緒に暮らしている期間はルームシェア時代を含めると約4年。特に大きなケンカもなくここまで来ました。

私が彼を好きな理由、100個くらい正座してちゃんと言える。尊敬してるし頼りにしてる。変なところもたくさんあるけど、そもそも私は昔からちょっと変な人が好きだったし。

でもそのうえで、3年目あたりで気が付いたことがある。それは、結局は誰と付き合っても同じだってこと。

 

パートナーは自分に似ている

3年目と言えば、私とユウキ君が二人暮らしを始めたころ。そのころ私は二人の関係にずいぶん悩んでいて、あまり深く考えずに生活し始めたことをちょっと後悔していた。

ある日、ストレスがMAXに溜まってどうにもならなくなったので、ユウキ君への不満を、紙に書き出してみることにした。そうしたら、驚いたことにそれは自分が小さいころから母に怒られていたことと同じだった

彼と私は、実はすごく似ていたんだよね。

 

自分の短所を受け入れる

小さいころからずっと母に怒られていたこと、というのはつまり私の短所だ。ずっと怒られ続けているのでそれが「悪いこと」としてインプットされている。

だからそれをユウキ君のなかに見つけたとき、条件反射的に「悪いこと」と判断してしまっていたの。

でも、短所は裏を返せば長所でもある。

たとえば朝起きるのが苦手なのは、別に悪いことじゃない。学校も会社もたまたま朝始まって夜に終わるシステムだから馴染めなかっただけだ。それどころか、夜型のほうがIQもクリエイティビティも高いという研究結果もあるらしい。

自分の短所を長所として上書きしてあげれば、パートナーの短所もおのずと気にならなくなる。

相手を変えることはできない。でも、どうやら自分の考え方を変えることで解決することはできる。

 

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何を見るかは自分次第

私はユウキ君の頭がいいところと、いつも正しいところを尊敬している。

仕事の人間関係で悩んでいた時に相談したら、「相手の言い分も聞いてみないとわからない」と言って、私の味方をしてくれなかったことがある。

正しい、と思った。

こんなことを言われたら怒りだす女の子もいると思うけれど、私は怒るどころか尊敬しちゃった。

当たり前だけど、人によって物事のとらえ方は違う。

つまるところ、自分の捉え方・考え方次第で目の前の現実はどうとでもゆがむのだ。

 

じゃあ誰でもいいじゃん

だったら、「この人じゃなきゃいけない」なんてことはない。そもそもパートナーだって人間だ。いつ急に心変わりするかわからないし、事故に遭って死んでしまうかもしれない。

自分を幸せにしてあげられるのは、つまりそういう現実を作るのは、パートナーではなく自分だ。相手のことをどれだけ好きでも、愛していても、そこに ”絶対” はない。自分を絶対幸せにしてくれるのは自分しかいないのだ。

 

究極、相手はだれでもいいのかもしれない。

もちろんそんな風に簡単にわりきれることばかりではないけど。

だれでもいいけど、だれでも大丈夫なんだけど、でも、あなたを選んだの。

そう思えることが最強かな、と思った3年目の冬でした。

あれからさらに3年。私はちょっとずつ、最強に近づいてる。

 

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