モモの読書感想文001~『神様のボート』江國香織
こんにちは。モモです。
先週・先々週と仕事がぱたぱたと小忙しく、気づいたら4月も中盤になっていました…
お花見、できなかったなぁ…
今回の読書感想文は・・・
『神様のボート』 著:江國香織
たぶんもう20回くらい読んでいる作品なのですが…
つらつらと感想を書いていきます。(普通にネタバレします)
はじめに
江國香織さんは、私の一番好きな作家さんです。
文章がとにかく美しくて、瑞々しくて、なんてことない日常風景の描写もため息が出るくらいきらきらして見えるのです。
どの作品も大きな起承転結はなく、おだやかな日常のお話が多いです。
大きな事件も起きませんし、流血事件や謎解きもありません。
この「神様のボート」も同様で、ハッとする展開はほとんどありません。
にもかかわらず、読むたびに感想が変わるところが面白いところです。
この作品は母・葉子と娘・草子のそれぞれの視点のエピソードが交互に繰り返されます。物語をひっぱる「ナレーター」が存在しない、つまり客観的な視点が無い、と言うのがこの作品のポイントかなと思います。
初めて読んだのは高校生のときで、そのときは何度読んでもハッピーエンドだと思えていましたが、数年経ってから読んだ時は一転、
あれ、最後主人公死んじゃった!? と思いました。
そして社会人になってから初めて読んだ今回、読み始めてすぐにとある疑問が持ち上がってきました…
あらすじ(文庫本裏表紙より)
昔、ママは、骨ごと溶けるような恋をし、その結果あたしが生まれた。 ”私の宝物は三つ。ピアノ。あのひと。そしてあなたよ草子”。
必ず戻るといって消えたパパを待ってママとあたしは引っ越しを繰り返す。”私はあのひとのいない場所にはなじむわけにはいかないの” ”神様のボートにのってしまったから”――― 恋愛の静かな狂気に囚われた母葉子と、その傍らで成長していく娘草子の遥かな旅の物語。
主な登場人物は、母の「葉子」、消えた母の恋人「あのひと」、あのひとにそっくりな娘の「草子」、元夫だが肉体関係は持ったことが無いという「桃井先生」。
葉子は、音大生時代の教授である桃井先生と卒業してすぐに結婚。その後「あのひと」と出会い、恋に落ち、草子を産みました。
「あのひと」が姿を消した後、葉子は桃井先生と別れてまだ乳飲み子の草子と東京を離れます。
葉子は作品中でたびたび、草子が「あのひと」とそっくりであると言います。
「すばらしくきれいな背骨」も、「すばらしく理知的な額」も。
草子の父親って、誰?
しかし、これまでは気付きませんでしたがよくよく読んでみると、「あのひと」が草子の父親である、とはどこにも書かれていません。
作中での呼び名に着目してみると、葉子の恋人は「あのひと」、桃井先生はそのまま「桃井先生」と書かれますが、何度か「草子の父親」が登場する箇所があります。
黄色い背表紙の文庫本はもうすりきれるほどくり返し読んだ。昔、草子の父親に贈られたものだ。
「これからは頭は帽子をかぶるためだけに使うんだ」
主人公がそう言うところまでくると、私はいつも悲しくなる。
別のページで、桃井先生は本好きでいつも帽子をかぶっていると書かれています。
また、葉子に対して「何も望んでいない」とも。
玄関に脱がれた運動靴をみると、私はいつも苦笑してしまう。草子は草子の父親に、どんどん似てくる。左足が右足のすこし前にでたかたちで脱がれる靴までそっくりだ。
「草子の父親」が「あのひと」だとすると、少しの間不倫をしていた相手の靴の脱ぎ方まで憶えているのは不自然な気がします。一緒に暮らしていた「桃井先生」ならまだしも…
やはり、「草子の父親」は桃井先生であると考えるのが自然だと思います。
というか、そうでないと「あのひと」と「草子の父親」を使い分けている意味がない。
葉子はしつこいくらいに草子と「あのひと」が似ていると言いますが、草子が「あのひと」の子であると思い込みたいだけかもしれません。そうすることでしか「あのひと」の存在を証明できないから。
「あのひと」が登場するのは主に葉子の一人語りの部分なので、読者は葉子の感情や思い込みに振り回されます。
そのため普通に読んでいると「草子の父親」=「あのひと」と思いがちですが、ちょっと疑って読んでみると違った事実が見えてきそうです。
そうなると、葉子は精神を病んでいるとも考えられます。
「これからは頭は帽子をかぶるためだけに使うんだ」
「何も望んでいない」
これらの言葉は、教授である桃井先生と、生徒である葉子の関係性を表しているように見えます。
桃井先生は、年の離れた葉子を大事に、人形のように、扱っていたのかもしれません。
何も考えないように、頭は使わないようにと言い聞かせて。
(しかも桃井先生は葉子と別れた後また同じくらい年下の人と結婚します。そういう嗜好があるとしか思えないっ)
その結果、現実逃避をした葉子が作り出した想像の産物が「あのひと」。
というのは、ちょっと無理がある推測でしょうか…笑
でも、もしそうだとすると、結末はバッドエンドしかあり得ないことになってしまいます…
結末は、おこのみで
物語のラスト2ページで、葉子は必ず戻ると言って消えた「あのひと」と再会します。
娘・草子が全寮制の高校に進学してからというもの、「いつ死んでしまってもかまわない」と思いながら過ごしていた葉子の前に、あたりまえのように現れたのです。
信じられない、と思ったのか、やっぱり、と思ったのか、区別がつかない。
あのひとはゆっくり近づいて、私のうしろに立ち、右手でそっと、私の右頬にさわった。
「ひさしぶり」
穏やかな、なつかしい、私を骨抜きにする、いつもの声だった。
これがハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、答えはありません。
でも、もし「あのひと」が実在しないとしたら。と考えると、ぞっとしますね。
作者のあとがきには、これは狂気の物語です、と書かれています。
初めて読んだ時は「そうかなぁ?」と思ったけれど、今となっては頷けます。
またおもしろい作品があったら、感想文書いてみます。
それでは、また♪
Next book report is…
靴の脱ぎ方を憶えているというのは、草子が憶えていて同じように脱いでいるわけではなく、親子だからか脱ぎ方が似ているということではないでしょうか。
草子には「パパ」の記憶はないと思われます。
なので、草子は本当に葉子と「あのひと」との子供なのではないかと。